心理カウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)もやっている精神科医です。内科経験もあり。メンタルヘルス、人生のこと 、思索、エッセイ、旅、音楽、ギター、ひとり言 etc.  息抜きに読んで頂ければ幸いです。3.11以降は、原発関連の情報中心です。
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    約1週間の入院生活の最後は、博多山笠を病室から真下に見下ろした。
    早朝5時過ぎ。
    早い人は、深夜0時頃から場所取りをして待つそうです。


    山笠


     



    学生服や、ヘルメットをかぶった男たちがシュプレヒコールを上げた60年、70年の時代が過ぎるとともに、褌(フンドシ)の男たちが、「祭り」を盛り上げることは、戦後めっきり減ったに違いない。


    一方で、街頭に出て声を上げ、自己主張する女たち。
    その数の多さは、いまや戦後初めてではないだろうか。


    「政りごと」が、「祀りごと」に転化する時、本当に「山は動く」のかも知れない。

    例えばアメリカの公民権運動のように…、「天」と「人々の祈り」の邂逅の瞬間に、本物の「民主主義」は立ち現れるように思える。




    彼女や彼や私は、「私」のためだけに声を上げているのではない。
    「子どもたち」、「孫たち」のために祈っているのだ。
    「人」としての当たり前の尊厳を、「私」を超えた大いなるものの尊厳として、切実に守ろうとして祈っている。


    人々の思いは、ますます膨れ上がっていくだろう。

    その根底に「生命」の原理があるからだ。


    「天」と「人々の祈り」が出会わざるを得ない時代が来たのだと思う。



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    【2012/07/18 08:00】 | 独り言
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    3.11から10ヶ月。

    原発事故は現在進行形です。


    故郷があるのに、そこを立ち去らねばならない人々。
    故郷そのものを、大波に奪い去られた人々。

    家族を失い、心のふるさとを失った人々。
    失意の果てに、自ら命を絶った人々。




    それは、3.11以降の一地域だけのことではないようにも思います。
    「家」も「ふるさと」も失ってしまった人々が、
    都会のアパートや田舎の一軒家や、施設や病院の中にもいます。



    「ふるさと」は、人と人との繋がりの中に、
    絆の中にこそあるのだろうと思います。



    取り返しようのない命や大地に向かっては、なすすべもない。
    人間というもののか弱さを、
    私たちは改めて思い起こすことになりました。

    弱さを認めない私たち人間の傲慢さが、
    これ程巨大な事故を引き起こしてしまったのだと思います。

    汚された森や田畑や海や大地に対して、
    奪われた人の命や犬や小鳥や牛の命に対して、
    私たちひとりひとりは、何をおいてもまず、
    謝らなければならないのだと思います。

    会社やお役所に『謝れ』と言う前に、
    まず私たち自身が謝らなければならないことが、
    あるのだろうと思います。
    謝っても、謝っても、もはや取り返しがつかない程に、
    たくさんの大切な存在たちを、
    私たちは無自覚に侵して来たに違いありません。

    ずっと以前から積み重ねて来た、私たちの過ちの結果が、
    たまたま3.11だったとも思えます。



    私たちは、自らの強さよりも弱さを、賢さよりも愚かさを、
    いま本気で学ばなければならないのでしょう。

    未来は、
    豊かな土地や、巨大な技術や、高性能機械や、巨額の資本の中にはありません。

    私があなたを、あなたが誰かを、愛する心の中にだけ。
    か弱く愚かな人と人の繋がりの中にだけ。

    その中にしか、未来はないのだと思います。




    【2012/01/11 11:11】 | 独り言
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     「クリスマスの頃、自殺者が最も多い」と、昨日訪ねた教会の牧師様が話されました。

     一年の総決算の時。古いものを捨て、溜まったゴミや不浄を捨てないと、新年が迎えられません。

     捨てられない程の「不浄」や、返済しきれない程の負債を背負った人たちは、クリスマスやお正月の華やかな雰囲気とは対照的な自分が、余計に際立って感じられてしまうかもしれません。

     

     「断捨離」の流行にことよせて、鬼嫁からは本棚の整理を催促されます。

     なかなか物を捨てられない性癖は、多分男性に多いのだろうと思います。一冊一冊、それなりに捨て難い思いがあるからこそ、殆ど読まれなくてもいつまでも本棚にあるものですが…。それらはリビングから、押し入れや納戸に追いやられ、いつの間にか、わが家の本棚は、殆ど鬼嫁の本に占拠されています。

     今日は、せっせと何十冊もの本に、「さうようなら」を言いました。


     ああ、いつの日か、私も同じ様に「さようなら~」と、見捨てられ…、オヨヨ(泣)。



     クリスマスのデコレーションで賑わう街の中を、ひとり寂しく歩く孤独。そのとき、「死」の想念が心をよぎっても不思議ではありません。



     クリスマスの由来を考えれば、それは貧しき者の子として生まれ、飼い葉桶に寝かせられたイエスの誕生を祝う日です。マリアとヨセフ以外で、最初にイエスの誕生にまみえたのは、貧しい、今で言う、日雇い労働か派遣社員のような夜勤の羊飼いたちでした。

     神は最も貧しき人々のもとに、イエスを贈られたというわけです。

     牧師様はそんなお説教をされました。



     そして思います。「貧しき」人々こそ、クリスマスの主役なのだと。


     
     厳しい寒さの中で、家を奪われた人々が、仮設住宅で年を越そうとされています。

     既に多くの方々が自殺されました。

     今年のクリスマスや正月は、とりわけそういう方々のためにこそ、なければならないのだと思います。



    【2011/12/24 21:01】 | 独り言
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     ここのところ、パソコンとにらめっこしながら、使い慣れないパワーポイントに講演資料を打ち込んでいます。

     3.11以降のことを自分なりにまとめてお話しさせて頂く事になりました。

     突然、自分の専門分野でもない話なので、ちょっとオドオドではあるけれど、原子力や放射能の専門家ではない一市民の目からみた世界を、自分なりの言葉で語ること、集まった一人一人が語り合い、共感し共有することができるなら、それはきっと大きなパワーになるのではないか。

     そう思ってお引き受けしました。


     そんな矢先に、ある方と出会ってしまいました。
     3.11以降、とても暗うつな気分になっていた時に、ある歌を YouTube にアップしていたのです。「やわらかなメッセージ」というその歌の作者は、既に故人です。数年前に、楽譜を見て、これは是非たくさんの人に伝えなければならない歌なのだと、直感していました。

     できが悪くて本当はとても恥ずかしいのだけれど、4月に思い切ってアップしてみました。

     そしてつい2週間程前に、作者である故 田中新吾さんのお母様が、聞いて下さってコメントを入れておられました。びっくりです!!



     いま、埼玉の友人から電話がありました。明日、彼のメモリアルコンサートがあるのです。


     不思議です。不思議な出会いと巡り会わせがあるものです。


     そんな風に、30日の講演会もいろんな人たちが出会っていくのだと思います。



     3.11以降、世界も私も、あなたも、たくさんの人たちが変わりました。
     そのことが、どうか一人一人にとって、かけがえの無いこの地球にとって、よい実りをもたらしてくれますように。

     そんな気持ちで、祈る気持ちで、ひとりひとりのメッセージを大切に、大切に生かし合うことができれば、私たちは物凄い力を発揮できるのだと思います。


        http://ishikiya.blog72.fc2.com/blog-entry-160.html



    【2011/10/26 21:33】 | 独り言
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    父の初盆が終わった。

    「盂蘭盆経」に説いているのは次のような話である。
    安居の最中、神通第一の目連尊者が亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけた。喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出したが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった。
    哀れに思って、釈尊に実情を話して方法を問うと、「安居の最後の日にすべての比丘に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」と答えた。その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。(Wiki



    この世に生きる者たちに、供養する。それによって喜ぶ姿が、あの世で苦しむ霊をも救う。

    この世で愛を実践し、施しあい、助け合うことが、あの世の人々をも救うということだろうか。

    戦争で亡くなった人々。原爆で亡くなった人々。3月の津波で亡くなった人々。

    無数の霊たちを供養する一番の方法は、今生きている私たちが慈悲の心をもって、お互いを大切にすることなのだとも思う。

    そしてこれから放射能によって命を奪われるとがないように、最大限の努力をすること。

    今年のお盆はとても重く感じる。




    【2011/08/15 23:36】 | 独り言
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