心理カウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)もやっている精神科医です。内科経験もあり。メンタルヘルス、人生のこと 、思索、エッセイ、旅、音楽、ギター、ひとり言 etc.  息抜きに読んで頂ければ幸いです。3.11以降は、原発関連の情報中心です。
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     アリたちは夏のあいだせっせと働き、食べ物をためこみました。キリギリスたちは夏の間働かずに、歌ばかり歌って過ごしました。

     やがて冬が来ましたが、アリたちは、せっかく蓄えてきた食べ物を、ほとんど口にしようとしません。そうです。働き過ぎたせいで、「過労うつ病」に陥って、食欲不振、夜も眠れなくなっていたのです。

     キリギリスたちは、なんとかしてあげようと思い、アリたちの巣を訪ねました。
     「アリさん、アリさん。私たちは、この日のためにいろんな歌と踊りを覚えてきました。とても楽しかったんですが、ひとつやり残した事があるんです」と、一匹のキリギリスが言いました。
     「あんなに歌いたいだけ歌って、踊りたいだけ踊って、何をやり残したんですか?」と、一匹のアリが聞きました。「ぼくたちアリは、歌も歌わず踊りも踊らず、一生懸命働いてきました。けれどもう、歌う元気も踊る元気もありません。食べる気持ちさえ湧いて来ないんです。やり残した事?いえいえ。もう何もやる気が起こりません。最後のたった一つの望み。それは・・・」
     「それは?一体何ですか」と、キリギリスが聞きました。
     「できれば、キリギリスさんたちのために、蓄えてきた食べ物を残して、安らかに眠りたいのです。永遠に…」

     「わかりました。私たちにもやり残した最後の望みがあります。」と、キリギリスが答えました。「それはアリさんたちに、私たちの歌を聞いてもらう事です。踊りを観てもらって、楽しんでもらえれば・・・。私たちはもう思い残すことはないんです。みんなこの冬が最後だと、そう思いながら歌って踊ってきましたから」


     何年も前から、虫たちの世界では信じられていたのです。この年を最後に生きものたちはすべて、この世から姿を消すのだと。


     キリギリスたちは、最後の力をふりしぼって、アリたちに歌と踊りを披露しました。
     それを見ていたアリたちは、一匹一匹立ち上がり、一緒に歌い、踊りだしました。みんな、見違えるように元気になっていきました。

     アリたちの「過労うつ病」はよくなり、食べものは、十分すぎるほどにあり余っていました。アリとキリギリスたちは、一緒に仲良く食事をしながら、歌って踊って一冬をすごしました。

     その次の春、虫たちの世界がどうなったのか…。
     
     それは、誰も知りません。なぜなら、その年の間にすべての人間たちは、この世から姿を消してしまっていたから。
     だとさ…。





      実はこの物語を思いついたのは、とある古い映画がヒントです。
      次回は、そのタネ明かしを・・・、お楽しみに!


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    【2012/05/16 09:47】 | メンタルヘルス
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    過労とうつと自殺の背景
    仮面ライダー
    メール便ライダーの皆さん苦しくても辛くても自殺してはいけませんよ。敵も年度替わりのこの時期に、既得権益を守るためにベテランのメイトにまでもプライドを傷つけるような小言を下っ端に言わせて、本部でひまをもて遊んでいますよ。メイトの皆さん辛くても自殺してはいけませんよ。拡散希望。!@sasechannai_QQ6[ツイート]
    イジメの構造は組織的に行なわれ、蟻のような、未組織労働者の「名ばかり自営業者」へ日々あります。年百万円の売り上げの三十万円が維持費になります。意識屋さんのブログのおかげで闘う事を教わりました。有難う。再見!


    -
    仮面ライダー様

    ぼくの若い友人は正社員ですが、就職後8年間一度も休みも取らず、昇級もなく、とうとう、うつ病になって病院にやってきました。毎年就職してくる若者たちは、ほぼ1~2年で辞めていくと・・・。そこまで、無理するなと言いたいけれど、今さら転職も難しく・・・。

    何とも、酷い世の中になってしまったものです。

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    葬り去られた記憶は、必ず蘇るのだろう。

    それが悔恨や罪悪感にならないために、

    いま、やらなければならない事があるはずだ。



    見なかったことにも、知らなかったことにも、

    本当は、誰にもできないのだろう。

    いま、しっかり直視しなければならないことがあるのだ。


    沖縄戦の心の傷 PTSD / 蟻塚亮二医師



    「星になった子どもたち」(もう一つの沖縄戦)1/5




    【2012/04/11 23:03】 | メンタルヘルス
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     いい夢だった。
     目覚めなければよかったのに・・・。
     そんな風に思えるほど、満たされる夢を見ることなんて滅多にないけれど。

     大学の寮にたどり着いた私。当時の友人たちが訪ねてきたりして、取り立てて珍しいことは何もなく、殺風景な部屋に一人立っている。友人や先輩や寮の管理人さん(実際はいなかった)との何気ない会話があたたかい。



     つい先日は、医療現場での講演があった。認知症についてのとりとめのない内容の中で、「回想法」を紹介した。
     「明るく輝いていた時代の内容を想起することで、自己の人生を再評価し、自尊心を向上させる」、「抑うつ状態を緩和」するという手法。

     朝、目覚めて、なるほどこんな感じかもしれない、と思った。
     病棟を「現場」と思い込んで、誰彼構わず声をかける「社長」さん老人。なかなかその時空から、現実の時間には戻っていらっしゃらない。「現実」に戻ることは、とても辛くて寂しいに違いない。

     夢や認知症の状態というのは、この世の現実から逃避できる数少ない逃げ場なのかもしれない。逃避ではなくもっと能動的に離れるのが「瞑想」であったりするのだろうけれど。
     そういえば、ここのところゆっくり瞑想していないのだ。

     「明るく輝いていた時代」は、意外に誰にもそんな風には思われていない時代だったりするのだろう。心の内側の問題だから当然である。ほんの短い時間ということもあるのだと思う。



     いま、現実の世界では次から次に情報が飛び交い、決して安心できるような状況とは思えない。この「現実」に、私の心は戻りたくなかったのかも知れない。

     今日は、若者が訪ねてくる。久しぶりに秋刀魚や肉を焼いて、バーベキューをしたいと。私は、「秋刀魚は止めた方が・・・、肉は海外産が・・・。若い人は特に気をつけた方が・・・」と注文をつけたけれど。
     はてさて、彼らはどこで何を仕入れてくるだろう?

     せめて若者には「思考停止」「現実否認」だけはして欲しくない。それが時代や古い世代に対する怒りを伴ってもいいから。



    【2011/09/18 10:13】 | メンタルヘルス
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     「非定型うつ病」という診断名は、医療の現場では殆ど使われません。というか、その病名の由来や実態を調べれば調べるほど不可解になってきます。一応、アメリカ精神医学会による DSM-IV 分類には出てきますが、世界保健機関 (WHO) によるICD-10(2007 年最新版)分類には出てきません。

     ヒトの「病気」や「医学」は各国共通のはずなのに?!と思われるでしょうが・・・。

     身体疾患はもちろん世界共通ですが、精神疾患の分類に関しては、アメリカ精神医学会のDSM(精神障害の診断と統計の手引き)分類が幅をきかせるようになってから、ややこしくなっています。



     「非定型うつ病」を熱心にとりあげている医師やクリニックもあるようです。
      

     確かに、そんな患者さんはいます。というより、それだけで収まりきらない(ほかのいろんな症状や病名を併せ持っていたりする)人も結構います。で、治療法をみると、「難治性で薬があまり効かず」、「認知行動療法など、心理療法的なアプローチも重要」とのことです。

     具体的な認知行動療法のプログラム例もあげられています。

    1 大切な人(親)から愛されているという認知の増強・確認
    2 劣等感の除去
    3 自己主張のスキル
    4 自己の客観視の向上
    5 ストレス・コーピング(ストレスヘの対処法)
    6 情動コントロール

     この内容をみると、必ずしも「非定型うつ病」に限らず、最近の若い人たちのいろんな心理的問題にアプローチする時の基本のようにも思います。さらに言えば、「子育ちー子育て」の基本中の基本とも思えます。わざわざ「専門家」といわず、普通に大人たちが子どもたちに接するときにやっているはずのことではないのでしょうか。

    1 あなたが一番大切。私たちの宝物よ! 
    2 なわとびなんか、できなくてもいいよ。お絵描きがじょうずだもん!
    3 みんなで遊ぼうね!○○君に『ぼくにもオモチャかして。あとでかえすからねっ』て、いってみたら?!
    4 全然ふとってないよ!痩せたからってモテるわけでもないし。  
    5 ○○ちゃん、叱られたんだぁ。何故叱られたかわかるよねぇ。わかったら、もう泣かなくていいんだよ。もうだあれも怒ってないよ。
    6 「病院のベッドで号泣」するくらいなら、今度からは「体調不良」の時に外で呑むのは控えようね。海○蔵ちゃん!。  

     しかも、病状の重い人には、「認知行動療法」程度では間に合わないだろうなと思います。少なくとも厚労省が保険診療として認める「1回30分以上、16回まで。医師が行う」というような、現実性のない、かつ中途半端な治療が特別に有効とも思えません。

     決してふざけているのではありません。
     人の心の成長にとって基本的な事柄が、親子に限らず人間関係の中でとても希薄になってきていると思います。その社会全体としての歪みを、精神医療とか精神疾患とか○○療法という小さな枠の中に封じ込めてしまうような傾向が、近年とても多いように思います。社会や文化そのものに内在する、「自然治癒力」のようなものが失われてきているのだと思います。




    【2010/12/07 12:35】 | メンタルヘルス
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     幼少期から、(愛情以外は)全て与えられるということ。

     教育も遊びも、全て既製の商品としてでき上がっていて、大人はそれを使って子どもに消費させるだけ。
     小学生の甥っ子や姪っ子は、学校以外では、塾、水泳教室、サッカークラブ、英語教室、ピアノ教室 etc. のスケジュールでびっしり。「何もしない時間」や「一人になる時間」なんてありません。

     嫌な勉強も、楽しい遊びも、どちらも「受け身」です。自分で工夫したり創造して、勉強したり遊んだりということがありません。自分流の単語帳を作らなくても、きちんと印刷されたものや電子ディスプレイ上で漢字や英単語が覚えられます。勝手にルールを作ってボール投げをしなくても、Wii があればゴルフでもテニスでも、きちんとルール通りにできてしまうので、大人の私より甥っ子たちの方がゴルフのルールをよく知っていたりもします。

     すべて受け身で勉強し、受け身で遊んでいるとどうなるのか・・・。

     私の世代は、野原で草野球、紙で作った将棋、空き地に手作りの秘密基地 etc. の時代だったので想像がつきません。遊びのルールも自分たちで作るものでした。小学3~4年生の担任の先生は、授業を生徒だけでやらせていました。すると、普段宿題をやらない子どもたち(私もそのひとりでした)も、競い合うように、一生懸命調べてきて難しい事を堂々と発表したりするのです。「不登校」や「いじめ」もありませんでした。

     そのせいかどうかはともかく、「社会のルールは自分たちで決めるもの」と、戦後民主主義の理想を、絵に描いたように信じていました。なので、それが現実社会では全く違う事に怒りを覚えましたし、そういう「社会」に迎合しようなどとは思いもしませんでした。団塊の世代などは、直接古い社会を変えようとしていました。

     先日、知り合いの結婚式で、新郎の勤める会社が「宝物探し」のイヴェントを企画する会社なのですが、200人の入社面接の中で、新郎一人がジーンズとTシャツ、それ以外の若者は、しっかり就活スーツで来たそうです。私と連れ合いは驚きました。「せめて10人くらいはシーンズで来んかなぁ」(私)、「ジーンズでなくても30~40人くらい、カジュアルウェアでも・・・」(連れ合い)。

     「常識」ほど、うさん臭いものはない。「常識」に縛られるのは決して人間的じゃない。「非常識」と避難されるのが案外快感だったりして、「世間」や「常識人」や「年配者」の声なんか殆ど耳に入らなかったのは、私だけでしょうか?

     終身雇用にほぼ近かった、温情主義の日本独特の企業経営はとっくに崩壊しています。会社に対する「ロイヤリティー」をもつことなんか、社員個々人にとっては有害無益でしょうし、この経済情勢の中で、能力の有無に関わらず簡単に職を失うのに、何故にそこまで「就活スーツ」ごときにこだわるのか・・・。

     結局本当に仕事がやりたいのではなくて、この競争社会から取り残されたり、「負け組」になりたくないから、それだけの理由で会社に入り、勤めているのだとすれば・・・。
     ちょっとした上司や同僚の言葉や、他人の「評価」に過敏になるのは当然なのかもしれません。


     先述の新郎が、なぜジーンズとTシャツで面会に行ったか、聞かなくてもわかります。自分の生き方、自分の考え、自己評価や自己信頼感に揺るぎがなかったからです。それを受け入れられないところで働いても意味が無いからです。

     学び方、働き方、遊び方を自ら創造してこなかった人にとっては、「自分の生き方」などは、とてもわからないだろうと思います。
     どんなに高学歴で、たくさんの知識をつめこんで、たくさんのスキルを身につけて、どんなにたくさんの遊びを知っていて、どんなにたくさん海外に行ったとしても・・・。
     主体的に悩みながら形成される「自分の生き方」を自己の内部で創造する、その重要なプロセスが見失われたままなのだと思います。


     マスメディアの言う「新型うつ病」は、医学的概念ではないことを記した上で引用します。

     「何をしていても楽しくないというわけでもなく、自分にとってストレス的な環境では抑うつ状態になりますが、自分が楽しいと感じることに対しては、楽しいと感じることができ、出来事に反応して気分が変わる」

     えっ?そんな事あたりまえじゃないの?と思われるでしょうが、その気分の変動が激しいということです。

     おそらく、「自分が楽しいと感じること」も本当には楽しめていないのだろうと思います。「不登校」の子供がゲームに熱中している間は、「何も考えなくてすむ」ように、一種の逃避手段としてしか「楽しみ」や「遊び」を経験した事がないのだろうと思います。




    【2010/12/04 11:22】 | メンタルヘルス
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    すみれ
    非定型うつ病をここまで読ませてもらった感想は、耳が痛い!です。こんなふうに感じるのは私だけでしょうか?自分自身も親としての自分にもどんよりとしてしまいます。でも人生まだまだこれからす!このブログを楽しく読ませてもらいながら今からの人生のスパイスにしていけたらいいなと思います!!


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