心理カウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)もやっている精神科医です。内科経験もあり。メンタルヘルス、人生のこと 、思索、エッセイ、旅、音楽、ギター、ひとり言 etc.  息抜きに読んで頂ければ幸いです。3.11以降は、原発関連の情報中心です。
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     「拒食症」、「過食症」などでは、心理的要因から「食べる」という行動に障害が起こります。治療法について様々な研究や理論はあるのですが、当事者の語る言葉ほど分かりやすいものはありません。

     以下は摂食障害の人々自らが作った『 回復と成長のための10のステップ』という文章です。

    1]私たちは痩せることへのこだわりから離れられず、この執着のために日々の生活がままならなくなっていることを認めた
    2]痩せることへの執着は、他人の評価を気にしすぎることから始まり、自分の意志の力を信じすぎたことでひどくなったことを理解した
    3]今までの生き方を支えてきた意志の力への信仰をやめ、他人の評価を恐れることなく、あるがままの自分の心と身体を受け入れようと決心した
    4]あるがままの自分を発見するために今までの生き方を点検し、両親との関係から始まる点検表を作った
    5]前記の点検表を、先を行く仲間たちに見せて語り合い、「真の自己」の発見につとめた
    6]「偽りの自己」の衣装の下に隠れていた、「真の自己」の存在を実感できるようになり、この”もう一人の自分”と和解しようと思うようになった
    7]今までの生き方の誤りが、「真の自己」を見失い、傷つけ、成長の最後の段階を踏みそこなったことに由来することに気づいた
    8]自分の生き方の点検を続け、新たに気づいた無理な生き方は勇気を持って変えることを心がけた
    9]自分の命の流れを実感するようになり、その流れに漂うことの落ち着きを楽しむようになった
    10]これら自分の経てきた成長のステップを、まだ痩せることの努力に溺れている人々に正確に伝えた

     「摂食障害」といわれる心理の核に、「偽りの自己」と「真の自己」があるという考えは、とても面白いと思います。この「自己の分裂」は、現代社会ではあまりにも普遍的な現象だからです。文中の「痩せる」を「認められる」、「愛される」などと言い替えてみれば、実は女性に限らず、現代人にとって普遍的な問題を提起しているとも言えます。 

     炭坑の時代の筑豊の作家、森崎和江さんは、長く心身症を患っていたそうですが、自著の中で「体内自然」という言葉を使っていました。外側に見えている「自然」の対概念であると同時に「不自然」に対する対義語でもあります。「不自然」は人の表現行為に対する概念なので、まさに「偽りの自己」は「体内・不自然」と言い替えられるのかも知れません。「不自然」で人為的な「私」のありように対して、「自然」であるがままの「私」が「真の自己」とも言えるでしょう。

     内側の「自然」を無視して、虚勢をはり、あるいは人目を気にした「偽りの自己」や「偽りの身体」を持つ事が、現代人にとっては必須の生存原理でもあります。

     「偽りの自己」や「偽りの身体」に対する違和感や緊張感を和らげるために、若者たちはリストカットをするのです。ある若者は「流れる血を見た瞬間、ほっと安心する」と言います。
     

     「見た目で選んで何が悪いの!」と、商品に対する視線を自分自身に向けるなら、他者にどう見られているかが全ての価値基準になってしまいます。その「他者の視線」を誇大に信じ始めるとき、非常に偏った、「不自然」なボディーイメージや、あるいは演技的で人為的なキャラクターが形成されます。
     それはとりもなおさず身体感覚そのもの、「人格」そのもの、あるいは「真の自己」を喪失することにほかなりません。

     一見真面目な人、あるいは社会的に信頼される職業の人、社会的地位も高い分別盛りの中高年の人 etc. そういう人たちが唐突に、凶悪で反社会的な犯罪を犯してしまうのも、「自己の分裂」ということに関連しているのだろうと思います。



     <「食べる」という行為の本質的な両価性と根源的な宗教性>とは、「食べる」行為自体に内在する原初的な「自己分裂」、あるいは決して解消され得ない「悲しみ」のことです。
     その「分裂」や「矛盾」や「悲しみ」を直視しなくなったときから、私たちの食文化はとても「不自然」なものになってきたに違いありません。


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     それからにわかによだかは口を大きくひらいて、はねをまっすぐに張って、まるで矢のようにそらをよこぎりました。小さな羽虫が幾匹(いくひき)も幾匹もその咽喉(のど)にはいりました。
       ・・・
     夜だかが思い切って飛ぶときは、そらがまるで二つに切れたように思われます。一疋(ぴき)の甲虫(かぶとむし)が、夜だかの咽喉にはいって、ひどくもがきました。よだかはすぐそれを呑(の)みこみましたが、その時何だかせなかがぞっとしたように思いました。
     雲はもうまっくろく、東の方だけ山やけの火が赤くうつって、恐(おそ)ろしいようです。よだかはむねがつかえたように思いながら、又そらへのぼりました。
     また一疋の甲虫が、夜だかののどに、はいりました。そしてまるでよだかの咽喉をひっかいてばたばたしました。よだかはそれを無理にのみこんでしまいましたが、その時、急に胸がどきっとして、夜だかは大声をあげて泣き出しました。泣きながらぐるぐるぐるぐる空をめぐったのです。
    (ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓(う)えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。)

                      『よだかの星』(宮沢賢治)より
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    【2010/08/24 20:42】 | スピリチュアル
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    荘田 朋子
    10のステップは、自助グループで、仲間がいる人達には大切な言葉ですね。

    でも、一人で、或いは医療者とのみ頑張っている人には、いきなり言っても、納得できない言葉でしょうね~。

    健常者の「否認」
    アポロン
     とても強い「否認」の壁をとりのぞく、それだけでも大変な作業のように思います。
     最も強固な「否認」は、寧ろ健常者の方にあるとは思いますけれど・・・。「症状」もなく「病名」もなく、社会「適応」していれば、気づくきっかけも与えられないので・・・。
     

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