心理カウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)もやっている精神科医です。内科経験もあり。メンタルヘルス、人生のこと 、思索、エッセイ、旅、音楽、ギター、ひとり言 etc.  息抜きに読んで頂ければ幸いです。3.11以降は、原発関連の情報中心です。
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     共同体の崩壊と核家族化に伴って、「母性」や「父性」、あるいは「男性性」や「女性性」というものを、家族の外から得ることが難しくなりました。

     それらの、より(生物学的)自然に根ざした心理属性は、元来「個人」を超えた共同体社会の中でこそ、生き生きと発現するもののはずです。子どもは両親だけでなく、叔父や叔母や、隣の家族の親や村の人々からも「母性」的、あるいは「父性」的な関わりを与えられ、年配の青年たちを通して「男性性」や「女性性」を模倣して育っていました。村の男たちや女たちが共同で村の子どもたちを育てていたと言い換えてもいいでしょう。

     「拒食症」が第二次大戦後、特に1960年代から急激に増えてきたのは、地域社会の崩壊と歴史的に符合するように思えます。 

     そのような機能が無くなれば、家族の中で全てをまかなわざるを得ません。子どもにとっては自分の両親には無い、ほかの「母性」や「父性」を体験する事がなくなるわけです。子どもに供給される家族内での「母性」や「父性」、あるいは「親性」は、相対的に貧困で偏ったものにならざるを得ません。

     子どもを虐待する親たちも、恐らく彼ら自身が子どもの頃に、極めて希薄な「母性」や「父性」や「親性」でしか関わってもらえなかったのだろうと推測されます。

     「機能不全家族」という概念がありますが、その中で育てられた子どもが人格形成において、社会にうまく適応できない「機能不全」に陥り、そしてまた何らかの「機能不全家族」を形成してしまう(世代間連鎖)という見方です。
     
     しかし私が強く思うのは、実は因果関係の連鎖から考えるならば、まず始めに地域社会の崩壊があり、核家族の閉鎖的システムが生まれ、「機能不全」を修正し得る社会システムが無い中で、個々人の様々な病理が生み出されてきた。そう考える方が理屈に適っていると思えるのです。 

     狩りをしたり、家を建てたり、獣を追い払う父(男)。自分の子どもに限らず、母乳のでない母親の代わりにも授乳したり、排泄を助け、家族や村人の食事を作ったり、衣類を洗濯する母(女)。
     原始的な自然と人間の関係の中では、殆ど生物学的次元に近い行動様式として、「母性」ー「女性性」や「父性」ー「男性性」の実体は見えていたのでしょうが、人間の生活が自然から遠ざかるに従って、それらは曖昧で抽象的な概念になってしまいました。その歴史的変遷の善悪を議論しても無意味ですが、その「概念」の曖昧さは却って個々人の深層に生き続ける、心理的次元での「母性」ー「女性性」や「父性」ー「男性性」の「元型」(ユング)を見えにくくしているように思えます。

     それだけではありません。「男性性」や「女性性」は、実体のないメディアの世界で最も華々しく表現されるようになりました。つまり生物学的自然から遊離した、商業主義やファッションや奇妙な「文化意識」(より進んでいる、流行している等)によって表層的な「男性性」ー「女性性」だけが強調されるようになってきたことが、事態に拍車をかけているのかも知れません。


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    【2010/09/10 13:18】 | メンタルヘルス
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