心理カウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)もやっている精神科医です。内科経験もあり。メンタルヘルス、人生のこと 、思索、エッセイ、旅、音楽、ギター、ひとり言 etc.  息抜きに読んで頂ければ幸いです。3.11以降は、原発関連の情報中心です。
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     例えば美輪明宏を「男性的」か「女性的」かと問われると、極めて「男性的」な人じゃないかと思います。三島由紀夫は、例の市ヶ谷事件を知っていたにも関わらず、『近代能楽集』を読んで、かなり「女性的」な人だと思いました。

     もちろん、当人の人柄を知っているわけでもなく、たまたま、挙げた人物がユニーク過ぎるかも知れませんが、要は外見と内面は、必ずしも一致した印象を与えないと思う訳です。



     婦人参政権運動、女性解放運動、フェミニズムという流れの中で、女性の政治的自由、身体的自由(妊娠・出産 etc. )、労働の自由、社会的・文化的自由へと、問題意識は拡大していきました。抑圧され差別される存在からの、女性自身による自己解放の歴史は、社会の中での自由と平等、個としての人権、民主主義という近代社会の文化理念をより具体的に実現する過程とも並行していました。



     そして、時代の最先端は「ジェンダーフリー」ということになるのでしょうか。

     例えば「保母」、「助産婦」、「看護婦」ではなく「保育士」、「助産師」、「看護師」と表現が改められたり。これは、あらゆる職業に性差別をなくそうという発想で理解できます。

     学校では男女混合名簿で、男子・女子とも「○○さん」に統一したり、あるいは男子・女子とも呼び捨てにすることで「平等」にする学校もあるようです。それならいっそ、男子制服、女子制服、どちらを着てもいいとか、男女とも全く同じ制服にするとか、はじめから制服という強制をしないとか、そこまでやらないと、一貫性がないのでは?と思ってしまいますが・・・。

     さらに言うなら、服装、外見ほど性差の現れ易いものはありません。女性がスラックスやジーンズをはく事が普通になり、タトゥーやベリーショートヘアなんかも、寧ろファッションの先端だったりするのに、男性がスカートをはいたり、口紅を塗ることが「普通」になるどころか、寧ろ「異常」とみなされるのはなぜでしょうか。それこそ、「ジェンダー」の束縛以外に考えられないのですが・・・。 

     「ジェンダーフリー」は女性の自由度を広げても、男性の自由度の狭さに対しては寧ろ無頓着なように思います。
     
     どうも、このあたりから、歴史的流れとして妙な違和感を感じるようになったのは私だけでしょうか。


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    【2010/10/15 13:22】 | 社会
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