心理カウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)もやっている精神科医です。内科経験もあり。メンタルヘルス、人生のこと 、思索、エッセイ、旅、音楽、ギター、ひとり言 etc.  息抜きに読んで頂ければ幸いです。3.11以降は、原発関連の情報中心です。
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     幼少期から、(愛情以外は)全て与えられるということ。

     教育も遊びも、全て既製の商品としてでき上がっていて、大人はそれを使って子どもに消費させるだけ。
     小学生の甥っ子や姪っ子は、学校以外では、塾、水泳教室、サッカークラブ、英語教室、ピアノ教室 etc. のスケジュールでびっしり。「何もしない時間」や「一人になる時間」なんてありません。

     嫌な勉強も、楽しい遊びも、どちらも「受け身」です。自分で工夫したり創造して、勉強したり遊んだりということがありません。自分流の単語帳を作らなくても、きちんと印刷されたものや電子ディスプレイ上で漢字や英単語が覚えられます。勝手にルールを作ってボール投げをしなくても、Wii があればゴルフでもテニスでも、きちんとルール通りにできてしまうので、大人の私より甥っ子たちの方がゴルフのルールをよく知っていたりもします。

     すべて受け身で勉強し、受け身で遊んでいるとどうなるのか・・・。

     私の世代は、野原で草野球、紙で作った将棋、空き地に手作りの秘密基地 etc. の時代だったので想像がつきません。遊びのルールも自分たちで作るものでした。小学3~4年生の担任の先生は、授業を生徒だけでやらせていました。すると、普段宿題をやらない子どもたち(私もそのひとりでした)も、競い合うように、一生懸命調べてきて難しい事を堂々と発表したりするのです。「不登校」や「いじめ」もありませんでした。

     そのせいかどうかはともかく、「社会のルールは自分たちで決めるもの」と、戦後民主主義の理想を、絵に描いたように信じていました。なので、それが現実社会では全く違う事に怒りを覚えましたし、そういう「社会」に迎合しようなどとは思いもしませんでした。団塊の世代などは、直接古い社会を変えようとしていました。

     先日、知り合いの結婚式で、新郎の勤める会社が「宝物探し」のイヴェントを企画する会社なのですが、200人の入社面接の中で、新郎一人がジーンズとTシャツ、それ以外の若者は、しっかり就活スーツで来たそうです。私と連れ合いは驚きました。「せめて10人くらいはシーンズで来んかなぁ」(私)、「ジーンズでなくても30~40人くらい、カジュアルウェアでも・・・」(連れ合い)。

     「常識」ほど、うさん臭いものはない。「常識」に縛られるのは決して人間的じゃない。「非常識」と避難されるのが案外快感だったりして、「世間」や「常識人」や「年配者」の声なんか殆ど耳に入らなかったのは、私だけでしょうか?

     終身雇用にほぼ近かった、温情主義の日本独特の企業経営はとっくに崩壊しています。会社に対する「ロイヤリティー」をもつことなんか、社員個々人にとっては有害無益でしょうし、この経済情勢の中で、能力の有無に関わらず簡単に職を失うのに、何故にそこまで「就活スーツ」ごときにこだわるのか・・・。

     結局本当に仕事がやりたいのではなくて、この競争社会から取り残されたり、「負け組」になりたくないから、それだけの理由で会社に入り、勤めているのだとすれば・・・。
     ちょっとした上司や同僚の言葉や、他人の「評価」に過敏になるのは当然なのかもしれません。


     先述の新郎が、なぜジーンズとTシャツで面会に行ったか、聞かなくてもわかります。自分の生き方、自分の考え、自己評価や自己信頼感に揺るぎがなかったからです。それを受け入れられないところで働いても意味が無いからです。

     学び方、働き方、遊び方を自ら創造してこなかった人にとっては、「自分の生き方」などは、とてもわからないだろうと思います。
     どんなに高学歴で、たくさんの知識をつめこんで、たくさんのスキルを身につけて、どんなにたくさんの遊びを知っていて、どんなにたくさん海外に行ったとしても・・・。
     主体的に悩みながら形成される「自分の生き方」を自己の内部で創造する、その重要なプロセスが見失われたままなのだと思います。


     マスメディアの言う「新型うつ病」は、医学的概念ではないことを記した上で引用します。

     「何をしていても楽しくないというわけでもなく、自分にとってストレス的な環境では抑うつ状態になりますが、自分が楽しいと感じることに対しては、楽しいと感じることができ、出来事に反応して気分が変わる」

     えっ?そんな事あたりまえじゃないの?と思われるでしょうが、その気分の変動が激しいということです。

     おそらく、「自分が楽しいと感じること」も本当には楽しめていないのだろうと思います。「不登校」の子供がゲームに熱中している間は、「何も考えなくてすむ」ように、一種の逃避手段としてしか「楽しみ」や「遊び」を経験した事がないのだろうと思います。



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    【2010/12/04 11:22】 | メンタルヘルス
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    すみれ
    非定型うつ病をここまで読ませてもらった感想は、耳が痛い!です。こんなふうに感じるのは私だけでしょうか?自分自身も親としての自分にもどんよりとしてしまいます。でも人生まだまだこれからす!このブログを楽しく読ませてもらいながら今からの人生のスパイスにしていけたらいいなと思います!!


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