心理カウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)もやっている精神科医です。内科経験もあり。メンタルヘルス、人生のこと 、思索、エッセイ、旅、音楽、ギター、ひとり言 etc.  息抜きに読んで頂ければ幸いです。3.11以降は、原発関連の情報中心です。
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     「被害の大きかった被災地では、僧侶が足りない。ボランティアの僧侶に、遺族の方から“お弔いをしてもらえませんか”と声がかかる。東北の方々は信仰心があついので、こうした状況でも、見ず知らずのお坊さんであってもお布施を欠かさない。5万、10万と包む。通夜、告別式をした僧侶は、後の四十九日法要なども頼まれるようです。」

     立ち入り禁止区域に、一時的に戻ることが許された時、位牌のことを一番に考えた人たちもたくさんいらっしゃったようです。

     原爆投下後の広島で、葬儀も出来ずに葬られるご遺体のために、般若心経を唱えて回った方の話を思い出しました。

     「東北の方々は信仰心があついので」というのが理由ではないと思います。多分、死者や死に対する向き合い方は、どの地域であっても、同じだろうと思います。病院や寺院がなくても、死者がどこへ行くのか、生者が死者をどう見送るべきなのか。それは人が、個としても種としても生きる上での、大切な心の作法として、深い意識の底に流れ続けているのだろうと思います。


     親に限らず多くの大人たちが、福島の子供たちの命を守る事を、最優先に考えるのも、「種として生き延びなければならない」という本能が強く作用しているはずです。 

     人類の心の奥底に流れる深い情念は、すべてを失った時に抑えようもなく溢れ出してくるのかも知れません。


     昨日は父の四十九日でした。
     食べ物は仏壇のご先祖様に、一番最初にささげるという習わしも、種としての生命の存続を考えれば、とても腑に落ちます。


     祖霊たちの亡骸の眠れるところ。「ふるさと」。私が私であり得る、存在の根本(ねもと)。

     忘れがたく、見捨てがたきものがそこにあるのに…。
     その地を追われる人たちの気持ちに、少しでも近づかなければ、ほんとうの「心からの」「支援」は、なかなか難しいのかもしれません。
     
     現代の私たちが、何を見失ってしまったのか。それを感受するのに年齢、経験は関係ありません。

     14歳の藤波心さんの思いは、とても深いところで、「いま」を見つめているように思います。

    http://www.youtube.com/watch?v=jy2wdYYiU0w&feature=related



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    【2011/05/30 14:26】 | 社会
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