心理カウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)もやっている精神科医です。内科経験もあり。メンタルヘルス、人生のこと 、思索、エッセイ、旅、音楽、ギター、ひとり言 etc.  息抜きに読んで頂ければ幸いです。3.11以降は、原発関連の情報中心です。
    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。

     「人間の命のことしか考えない者は、人間の命さえも守る事ができない。」と、誰かが言っていたように思います。

     「政府は被害者に謝罪したけれど、被害者も含めた私たち人間は、水俣で殺された猫や魚たちに、一度でも謝罪した事があっただろか」
     水俣病被害者の方がそんなことをおっしゃっていました。



     「動物や植物の生命よりも、人間の生命の方が大事」と、そう考えた瞬間、既に命の差別化がはじまっています。それは必ず人間自身にも跳ね返って来て、人間の命をも差別化します。

     動物や植物や、あるいは大地や海水をも被曝から守れなければ、私たち自身の命も危ない事は当然ではあるけれど…。そんな考えさえ、「人間のため」でしかないのであれば、やはり差別の構造と意識は生き続けるのだと思います。

     宮崎の口蹄疫で、畜牛を殺さなければならなかった農家の人たちの気持ちは、ただ商品を廃棄処分にするようなものではあり得ませんでした。あたかも家族を自らの手で殺(あや)めるような悲痛な思いだったそうです。
     そんな命としての平等観など、殆どの政治家や官僚たちには、想像さえできないのかも知れません。

     動物や植物の命を大切に思えない者は、人の命さえ大切に思えなくなるでしょう。人の命を大切に思えなければ、他人を差別することも平気になるでしょう。

     とある福島の母親の言葉を聞きました。
     「電力を全部東京に送ってますよね。…福島の子供たちだけが放射能に強いわけではないです。平等だとお考えであれば、…もしあれでしたら福島に、東京の学校を置いて頂いて、入れ替わったらいかがでしょうかと…。」
    http://www.youtube.com/watch?v=7tJcKXcS42Q
     
     明らかに「都市」と「地方」の差別の上に原発は建設されてきました。

     そして、この40年間、もっとも危険な作業を電力会社の正社員ではなく、原発や放射能のことなど殆ど知らない日雇い労働者たちが担い、被曝死してきました。彼らの命を軽視し続けることで、原発も私たちの生活も成り立って来たわけです。
    http://www.youtube.com/watch?v=FQ4rOKxRCsU&feature=share
     
     原発という存在そのものが、この命の差別構造の上に成立していたのだということを、改めて思います。世界と日本国内の差別構造なしに原発の存在は不可能です。私やあなたや社会全体の中にある差別意識がそれを支えてきたのだろうと思います。


     放射能は人間だけでなく、草も虫も猫も牛も魚も、全ての生き物にとって危険なものです。だからこそ地球全体が地磁気や大気や水蒸気で包まれて、宇宙線(宇宙からの放射線)の被害からすべての命を守ってくれている。そう考えることもできます。
    http://www.minusionwater.com/dame2.htm

     すべての生命を平等に守ろうとする地球の働きとは正反対の働きをするもの。
     生き物や人の命を差別し、侵していくもの。
     それが原発だとも言えます。



    スポンサーサイト

    【2011/05/27 11:25】 | 思索
    トラックバック(0) |
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。