心理カウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)もやっている精神科医です。内科経験もあり。メンタルヘルス、人生のこと 、思索、エッセイ、旅、音楽、ギター、ひとり言 etc.  息抜きに読んで頂ければ幸いです。3.11以降は、原発関連の情報中心です。
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     単に「民族性」として片づけない方がいいと思うのだけれど、「日本人」は、同胞や仲間や自民族に対して、ひどく冷酷だと思う。

     広島・長崎の「被爆者」や「被曝二世」に対して、国は補償を極力制限してきた。
     入市被爆者の病気を「内部被曝による原爆症であり、国の却下は違法である」と司法が認めたのは何と2008年、大阪高裁判決が初めてである。しかも裁判所を動かした一冊の本は『死にいたる虚構~国家による低線量放射能の隠蔽』(ジェイ・M・グルード、ベンジャミン・A・ゴルドマン共著)というアメリカの調査データからである。

     日本の殆どの医者は「内部被曝」や「低線量被曝」という概念そのものを無視してきた。もちろんアメリカの核戦略が背後で支えていたとはえ、国も省庁も官僚も自治体も、専門家も市民も、被爆者や「被爆者」とは認定されない多くの原爆症の人々や被爆二世の健康被害を、隠然と無視して来た。
     日本人が全く知らなかったのではないことは、被爆者や被爆二世に対する結婚差別を見れば明らかだ。誰も公然とは言わないが、口づてで、被爆二世でも様々な病気を持っている者が多く、遺伝的影響も起こり得ると、そう思われて来たのだ。
     
     先天性の水頭症を持った被爆二世が、知り合いの中にいた。彼は若くして亡くなった。あるいは被爆二世の女性から、流産する仲間が多い事も聞いた。原爆投下の数日後に広島や長崎に入った人が、後々癌を発症したと聞くこともある。
     ちょっと関心を向ければ、医者でなくても身近にそういう話を聞く事はできる。

     大学の頃、地元にあった原発周辺の住民に癌の発症率が高いという話を、原発に反対する住民団体や支援団体から聞いていた。そのことを医学部の教授に聞いたら、「そういう医学的データはない」と言われた。住民の側に立つ良心的と思われる先生だったので、私は少々驚いた。今考えれば、恐らく厳密な疫学データがないという意味で言ったのだろうけれど。各地の原発周辺の住民にとっては乳癌や不妊症や流産が多い事は常識となっているけれど、あまり公然とは語られない。差別を受けるのが目に見えているからだ。

     私も最近知ったのだが、日米両政府は、原爆による残留放射能の放射線量を、1945年9月17日、広島・長崎を襲った枕崎台風のあと、原爆投下後48日目に初めて測定し、それを唯一のデータ(Dosimetry System 1986)と見なしてきた。
     激しい暴風雨で土壌や空中の埃と一緒に大量の放射性物質が吹き飛ばされた後に線量測定をしたという、実に巧妙なペテンである。




     この一貫した現実隠蔽がABCC(1947年~)から放射線影響研究所(1975年~)へと引き継がれてきている。
     
     今回の3.11以降も放射線影響研究所は、被害の過小評価と、内部被爆、低線量被爆否定のために、必死になってデマを流し続けている。
     素人にさえわかってしまうこんな駄文(「チェルノブイリ事故との比較」)を読むだけでも、政府や放影研の低劣さが見て取れてしまう。

     チェルノブイリ事故による死亡者数は、WHO 報告(2006)ー9000人、IARC(国際癌研究機関) 論文(2006)ー1万 6000人、キエフ会議報告(2006)ー3万~6万人となっている。近年では、それでも過小評価であり、およそ100万人と言う科学者たちもいる。
     ところが上記の首相官邸ホームページに明記されているのは、58人…。

     日本人である事が恥ずかしくなるような内容である。

     
     「放射性物質の1年後残存量は、核爆弾爆発後は1/1000だが、原発事故後は1/10に過ぎない」(児玉龍彦東京大学教授 7/27  衆議院厚生労働委員会)

     しかも今回の事故で放出された放射性物質の総量は最低でも広島原爆の168発分に相当する。そして、汚染濃度はセシウム134と137として、チェルノブイリは最高148万~370万ベクレル/平方メートルまで、福島は最高300万~3000万ベクレル。しかも高濃度汚染地域に住む人口ははるかに多い。 

     原爆よりも、チェルノブイリ事故よりも酷い事態が現在進行中なのだ。今後何十年にもわたって内部被爆、長期低線量被爆による死者と健康被害が発生することは十分に予測される。

     広島・長崎、沖縄、水俣etc.

     長い目でみれば、日本人は同胞の不幸に対して目をつぶる傾向が強いのだろうか。お上にたてついたり、仲間はずれにされることへの警戒心の方が、災禍に合い、差別され、虐められている仲間を守る心理よりも勝るのだろうか。
     自分を守る為には、仲間さえ見捨てるのだろうか。

     韓国の人々の血族の団結、欧米のキリスト教下でのコミュニティーのつながりは、日本人には想像できない。「村」という仕組みは、原子力「村」だけでなく、「村」が崩壊した今日も、私たちの心理の中にしっかり植え付けられているように思う。「村」から離れる事は致命的なこと。だから、「医者」や「専門家」や「ジャーナリスト」や「芸能人」や「政治家」という「村」に絡めとられている人々は、その「村」にない意見は述べようとしない。
     被災地の「村」から逃げたくても「心理的に」逃げられない人々がいるのも、全く同じ原理のように思う。

     長い歴史の中で形成されてきた日本独特の「村」意識を、為政者たちはいつも巧妙に利用してきた。「村」人たちの間に分断、軋轢、不信の種をまき散らす事で、為政者は都合よく人々をコントロールできる。事実、「デマや風評を流す者たちがいる」と言いふらすだけで、十分に人々の対立を作り出す事ができたではないか。最大のデマや嘘や「風評」は、為政者自身が撒き散らかしているのだが。
     そのことに気づくかどうかに関係なく、何が正しいかどうかに関わり無く、とにかく「村八分」にあわないことに人々の意識が向かっていくのは、これまでの歴史の中に実証されている。

     3.11当初の日本人に対する海外の同情の眼差しは、ある時期から一変しはじめた。
     東電や政府に「怒らない」不思議な日本人。苦境の中に見捨て去られようとする同胞のためにさえ怒ろうとしない不気味な日本人たちに対して、不信の眼差しが向けられ始めたように思う。


     原子力「村」に対峙しようと思うなら、まず「私」の足下にあって「私」を守ってくれていると思わされている「村」から抜け出すしか無い。

     本気で現状を変えようと思うなら、「村八分」になることからはじめよう。

     とりあえず、私自身の新年の抱負とします。



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    【2012/01/04 14:47】 | 原発
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