3.11から10ヶ月。
原発事故は現在進行形です。
故郷があるのに、そこを立ち去らねばならない人々。
故郷そのものを、大波に奪い去られた人々。
家族を失い、心のふるさとを失った人々。
失意の果てに、自ら命を絶った人々。
それは、3.11以降の一地域だけのことではないようにも思います。
「家」も「ふるさと」も失ってしまった人々が、
都会のアパートや田舎の一軒家や、施設や病院の中にもいます。
「ふるさと」は、人と人との繋がりの中に、
絆の中にこそあるのだろうと思います。
取り返しようのない命や大地に向かっては、なすすべもない。
人間というもののか弱さを、
私たちは改めて思い起こすことになりました。
弱さを認めない私たち人間の傲慢さが、
これ程巨大な事故を引き起こしてしまったのだと思います。
汚された森や田畑や海や大地に対して、
奪われた人の命や犬や小鳥や牛の命に対して、
私たちひとりひとりは、何をおいてもまず、
謝らなければならないのだと思います。
会社やお役所に『謝れ』と言う前に、
まず私たち自身が謝らなければならないことが、
あるのだろうと思います。
謝っても、謝っても、もはや取り返しがつかない程に、
たくさんの大切な存在たちを、
私たちは無自覚に侵して来たに違いありません。
ずっと以前から積み重ねて来た、私たちの過ちの結果が、
たまたま3.11だったとも思えます。
私たちは、自らの強さよりも弱さを、賢さよりも愚かさを、
いま本気で学ばなければならないのでしょう。
未来は、
豊かな土地や、巨大な技術や、高性能機械や、巨額の資本の中にはありません。
私があなたを、あなたが誰かを、愛する心の中にだけ。
か弱く愚かな人と人の繋がりの中にだけ。
その中にしか、未来はないのだと思います。
原発事故は現在進行形です。
故郷があるのに、そこを立ち去らねばならない人々。
故郷そのものを、大波に奪い去られた人々。
家族を失い、心のふるさとを失った人々。
失意の果てに、自ら命を絶った人々。
それは、3.11以降の一地域だけのことではないようにも思います。
「家」も「ふるさと」も失ってしまった人々が、
都会のアパートや田舎の一軒家や、施設や病院の中にもいます。
「ふるさと」は、人と人との繋がりの中に、
絆の中にこそあるのだろうと思います。
取り返しようのない命や大地に向かっては、なすすべもない。
人間というもののか弱さを、
私たちは改めて思い起こすことになりました。
弱さを認めない私たち人間の傲慢さが、
これ程巨大な事故を引き起こしてしまったのだと思います。
汚された森や田畑や海や大地に対して、
奪われた人の命や犬や小鳥や牛の命に対して、
私たちひとりひとりは、何をおいてもまず、
謝らなければならないのだと思います。
会社やお役所に『謝れ』と言う前に、
まず私たち自身が謝らなければならないことが、
あるのだろうと思います。
謝っても、謝っても、もはや取り返しがつかない程に、
たくさんの大切な存在たちを、
私たちは無自覚に侵して来たに違いありません。
ずっと以前から積み重ねて来た、私たちの過ちの結果が、
たまたま3.11だったとも思えます。
私たちは、自らの強さよりも弱さを、賢さよりも愚かさを、
いま本気で学ばなければならないのでしょう。
未来は、
豊かな土地や、巨大な技術や、高性能機械や、巨額の資本の中にはありません。
私があなたを、あなたが誰かを、愛する心の中にだけ。
か弱く愚かな人と人の繋がりの中にだけ。
その中にしか、未来はないのだと思います。
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