心理カウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)もやっている精神科医です。内科経験もあり。メンタルヘルス、人生のこと 、思索、エッセイ、旅、音楽、ギター、ひとり言 etc.  息抜きに読んで頂ければ幸いです。3.11以降は、原発関連の情報中心です。
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    「3.11で、人生が変わりました」
    その言葉を、たくさんの人たちから聞いてきました。

    あるひとりは、静かに語りました。

      「我々が官邸前に集まっているのは、絶望に近い悲しみがあるからだ」。


    怒り、不安、危機感だけではないものが、
    一人一人の心の中で育ちつつあるようにも思えます。


      「絶望に近い悲しみ」


    その感覚は、心の底に深く突き刺さります。
    政治家の嘘、天災、原発事故、病気、死・・・。
    それらよりも、もっと恐ろしいものがあることを、
    私・たちは魂の深みで感じつつあるのあも知れません。




    今日の朝、古くからの知人が癌で亡くなりました。
    悲しくはあるけれど、絶望はしていません。
    彼の「死」は静かに私の前に横たわり、
    彼の魂は静かに私の前で微笑んでいますから・・・。




    「3.11で、人生が変わった」とすると、それは、
    人の死以上に「絶望に近い悲しみ」を
    感じ取ってしまったからかも知れません。


    人間存在そのものに対する「絶望」かも知れません。
    人間がどこまで非人間的であり得るかを、
    うすうす感じとってしまったのかも知れません。


    十字架に架けられたイエスを、
    罪人として侮蔑しなかった民衆が、
    当時どれ程いたことでしょう!?


    私たちが、「私」から離れ、群衆として、民衆として、
    組織の一員として生きてきた事が、
    どれ程罪深い結果を招いているのか・・・。




    何万、何十万と官邸前の人々の数が増えようが、
    それはもはや、数の問題ではなくなってきているように思います。


    一人一人が「絶望に近い悲しみ」に打ちひしがれ、
    「生きたまま死に続ける」ような苦しみから、
    解放される事を望み始めたのだと思います。


    「政治の問題」としかみれない「政治家」は無用です。
    「経済の問題」としかみれない「財界人」も無力です。




    全人類を巻き込み兼ねない大惨事ですが、
    これは究極のところ、「私」の問題、
    「ひとり」の問題に行き着かざるを得ないのだと思います。


    「希望」を捨てることなどありません。
    けれど、深く深く絶望する事なしに、
    この危機を乗り越えることはあり得ないように思います。

    どれだけ多くの「私」が「絶望」することができるか。
    そこに、唯一人類の未来がかかっているようにさえ思えます。



    いや、既にたくさんの人たちが、そんな「絶望」のただ中にいます。
    一生抱え続けるだろう不安を抱えながら、声には出さずとも・・・。


    おぞましい子どもたちの健康被害が闇から闇に葬られ続け、
    密かに、声にならざる不安が広がり・・・、

    静かに、静かに、「絶望」の川を渡り始めた日本人。


           その数が、日に日に増えてきているように思います。
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    【2012/08/08 22:09】 | 思索
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