心理カウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)もやっている精神科医です。内科経験もあり。メンタルヘルス、人生のこと 、思索、エッセイ、旅、音楽、ギター、ひとり言 etc.  息抜きに読んで頂ければ幸いです。3.11以降は、原発関連の情報中心です。
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     エジプトの内乱の折、弾圧されようとするイスラム教徒たちの周囲を、キリスト教徒たちが人間の輪を作って守ろうとした。それは、意外にも宗教の本来の姿を表しているように思う。


     「自己」を超えたもののはたらきを感じるのは、宗教的ー霊的心性の基礎だと思う。「自己」を超えたものとは、自然であったり、祖先たちであったり、「唯一の神」であったり、「八百万の神々」であったりするだろうけれど。

     しかし、それは飽くまで「自己」を超えた存在であって「他者」を超えた存在ではない。「私」を超えるものであっても「私・たち」や「彼ら」を超えるものではあり得ない。
     真に「私」の実存を超えた存在を感じるならば、「私」は自らを究極の無力な存在と感ぜざるを得ない。「究極の無力な私」が、「他者」や「私・たち」や「異教徒」を攻撃するなどあり得ない。否、「究極の無力な私」そのものさえ消滅するはずである。

     そこのところでの取り違えは、宗教的ー霊的次元において根本的に異なる心性を生み出してしまうように思う。


     いま起こっているのは、あるいは起ころうとしているのは「キリスト教」と「イスラム教」の対立などではではないし、西洋世界とアラブ世界の対立でもないように思う。

     「先進国」、「後進国」、キリスト教、イスラム教、資本主義社会、社会主義社会・・・。地域や宗教やイデオロギーを問わず、「私」の反乱が起こりはじめているのかも知れない。
     
     「個人主義」のことなんかではない。
     国家も民族も宗教も関与し得ない、人類史上はじめての、純粋に「私」という実存の出現と、そこに発する反乱のことである。

     確たる証拠はないけれども、そんな風にも思える。



    【2011/02/27 10:57】 | 社会
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