心理カウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)もやっている精神科医です。内科経験もあり。メンタルヘルス、人生のこと 、思索、エッセイ、旅、音楽、ギター、ひとり言 etc.  息抜きに読んで頂ければ幸いです。3.11以降は、原発関連の情報中心です。
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     技術職の人間は、自らを「技術屋」と呼んで、○○先生とか、△△技師とか呼ばれるのを嫌う傾向がある。謙虚ではあるが卑屈ではない。寧ろ誇りを持って「私は技術屋ですから」と言う。
     
     それは、多分日本の伝統のなかでは「職人気質」の延長にあるものなのだろう。
     「職人」は最も「現場」に忠実である。金や名誉に惑わされだすと、腕や勘は鈍るのだ。施主やお大尽やお偉いさんの顔色や言葉よりも、「現場」を尊重してこそ「職人」である。
     自分の職分にはとことん責任と執着を持って自己主張もするが、それ以外の領分には決して口を挟まない。その「心いき」が格好よくもある。


     その昔私の父は、地元では「テレビの神様」と呼ばれていた。「○○さんなら直せる」、「新品に戻る」と言われたりする、真空管時代の「テレビ職人」であった。
     市の式典で表彰状を受け取るという話が出たとき、父は出席を断って、代理の人に表彰状を受け取ってもらった。何故断ったかというと、その式典会場でマイクや電気系統の調整をしなければならなかいからだと…。
     真偽はともかく、そういう栄誉や晴れの舞台に対しては、極めてシャイなのが、父親に限らず「職人」共通の性格のようにも思える。



     いつからだろう。「職人」はいなくなった。テレビに限らず、家電製品は修理するものではなく、買い替えるものになった。パソコンの量販店に行っても、店員より客の方が余程パソコンに詳しかったりする。

     高度な科学技術の現場では、「技術屋」など存在しなくなったかのように見えるけれど、果たしてそうなのか?
     
     皮肉な事に、最先端の科学技術の「現場」で、「技術屋」あるいは「職人」が最後の頼みの綱になっているのが、世界の「FUKUSHIMA」の現状なのだ。

     「溶接免許もないのに、○○原発の溶接やらされた」アルバイトの若者や、その溶接を確認する者も、ただの素人だったり。現場を無視した時間と人数制限の中で配管工事の手を抜かざるを得なかったり…。



     「現場」が見失われたところに、原発や私たちの「文明」が成り立っているのだ。ウラン鉱山で被曝する人々や、国内の原発労働者の被曝死を無視し、人気のない地方の海辺にしか原発を建設しない。
     隠蔽されている「現場」もたくさんある事は、原発事故報道の中かでうんざりするほど見せつけられてきた。

     マニュアル通りには動かなかったり、「想定外」の現象が起こる事も当たり前なのが「現場」であり、その「現場」と真っ正面から向き合えるのが、それぞれの「技術屋」である。「海水注入中断」の命令に従わなかった現場の所長の判断がなければ、事態はもっと悪化していたという。

     いま、人命(国内だけとは限らない)を左右する緊急事態の時に、「現場」だけが放置されたまま、暴走し始めた。「現場」を理解もコントロールもできない人たちが、政争や利権保全にやっきになっている。

     すべての人は命の「現場」にいる「職人」であるのだけれど。そして何より、小さな命たちは盛んなる細胞分裂の「現場」に生きていることも間違いないのだけれど…。



          この方々には大いに期待を寄せています
             <http://bouhatsusoshi.jp/





    【2011/07/05 22:43】 | 社会
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