心理カウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)もやっている精神科医です。内科経験もあり。メンタルヘルス、人生のこと 、思索、エッセイ、旅、音楽、ギター、ひとり言 etc.  息抜きに読んで頂ければ幸いです。3.11以降は、原発関連の情報中心です。
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    「小さな祈りの会」

    とてもいい響きだと思いました。
    それを企画した友人に、朝、ふと電話して、
    集会・デモではなく、「小さな祈りの会」に参加する事にしました。

    11人の大人と3人の子どもたち。
    みんなで集まり、話し、歌を聴き、歌を歌い、絵を描きました。

    3月11日、14時46分。
    ここ九州の飯塚市でも、サイレンが鳴らされました。

    黙祷の前から、涙が止まりませんでした。



    未曾有の大震災・津波で2万人近くの命が奪われ、数十万人の人々が故郷に帰れず、原発事故は未だ収束していない…、歴史的大惨事です。

    昨年の3.11以降、私にとっては楽しんだりしている場合ではなく、
    いてもたってもいられず、闇雲に動き始めました。

    情報収集。講演会。署名。集会。食品汚染。友人の事 etc.

    変わりない「日常」など、もうあり得ないのは明らかでした。




    けれど、この集まりで初めて強く感じた事がありました。

    チェルノブイリの時、私は何をしていたのでしょう?
    あるいは、関わりのない人たちの、身近な死に際して何をしてきたのでしょう?
    様々な理由で家族から見捨てられ、「ふるさと」を失い、何十年も入院し続けているいる人たちに、どんな思いで接して来たのでしょう?


    その時々に、ほんのささやかな「祈り」の気持ちを持っていたのならば…。

    今回のような大惨事は免れていたのかも知れない。
    と、ふと気づいたのは、ついこの間でした。





    ともかくも、いま私が気づいてしまったのは、
    「小さな祈り」さえも失ってしまったら、
    「小さなな喜び」さえも感じることは
    できないだろうということです。

    あるいは、「小さな祈り」こそが
    「大きな喜び」の種なんだということです。

    それは本当に「大きな祈り」ではなく
    まさに「小さな祈り」です!

    「小さな祈り」こそが偉大なのだということです。


    巨大な富と「科学」の力で世界を変えようとして、
    月面を人類が歩くという大きな夢まで実現して、
    けれどそれが「小さな祈り」を踏みにじってしまうような力であるならば、
    決して世界や人々や生き物たちを、幸せにすることはないでしょう。



    この日集った、大人と子どもたちが、
    それぞれに、無意識に、小さな絵を描きました。


    出来上がったのは、畳3畳ほどもある、大きな絵。


    一人の「作家」のひとつの完成「作品」ではありません。

    そのとき、その場で、思い思いに筆をとった、
    ひとりひとりの、小さな小さな「祈り」の一筆一筆…。
    私が描いたのも、ほんの数十分の一くらい…。



    そのことでしか、この大きな絵画は描かれなかったことに、
    私はひどく感激したのでした。

    できあがった絵が、キラキラと光り輝いていました。






    【2012/03/13 10:43】 | 社会
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