心理カウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)もやっている精神科医です。内科経験もあり。メンタルヘルス、人生のこと 、思索、エッセイ、旅、音楽、ギター、ひとり言 etc.  息抜きに読んで頂ければ幸いです。3.11以降は、原発関連の情報中心です。
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     母親が母乳を与え、料理して食べさせ、昔ならば父親が狩りをして獲物を分け与えたからでしょうか。人間にとって「食べる」という行為は、心の中では「愛情を取り込む」ことと深く繋がっています。
     例えば拒食症は、母親と娘との心理的に深い葛藤がその原因であると言われてきました。

     青年の拒食症に限らず、拒食する老人、過食する子ども、メタボリックになる働き盛りの男性 etc.
      飽食の時代。「食べる」ことについては、さらに込み入った深層心理がはたらいているようにも思います。



     「食べる」事は生命維持にとって必須なので、「食物」に対する人間の思いは、本来とても強いものでした。そんな「食物」を、生きている人間よりも先に、神様や祖霊に供物として捧げるという人類共通の文化も長い歴史を持ちます。

     肉体の無い神様や祖霊は、供えられた「食物」を物理的に食べるのではなく、「食物」のうちに秘められた、何か目に見えぬものを摂取するのでしょうが。それが何なのかはともかく、実は私たち生ける者もその「何ものか」を摂取することで、霊的に生かされているのだと思います。

     その「何ものか」については・・・、とりあえず「愛」と言ってもいいのかも知れませんが、単純に母親や人間の愛だけではなさそうです。もともとは他の生き物や大地から与えられたものだからです。森羅万象から与えられる、目に見えない「何ものか」と言うしかなさそうですね。



    【2010/08/19 13:17】 | スピリチュアル
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