心理カウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)もやっている精神科医です。内科経験もあり。メンタルヘルス、人生のこと 、思索、エッセイ、旅、音楽、ギター、ひとり言 etc.  息抜きに読んで頂ければ幸いです。3.11以降は、原発関連の情報中心です。
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     「食事」という言葉にリアリティがなくなってしまいました。
     コンビニで買ってきて、お湯をかけて、食べればまるごとゴミ箱に捨てられる。食べる前の下ごしらえや、食器を洗う手間まで省かれ、お金で買えるパック商品。
     「食事」という程の手間のかかる「事」をなす必要もなく、栄養分が摂取できるのですから、外食とサプリメントだけで生きていくことだって可能です。
     
     元来、「食べる」という行為は、とても攻撃的なものです。
     命あるものを噛み砕き、呑み込み、溶かして、自らの血や肉に同化させるのですから。自らが生きのびるためには、「殺生」が不可避であり、それを「罪」というならば、この世に罪なく生きている命などひとつもありません。

     それらが同じ「命」であることを知るが故に、人間は常に罪悪感を心の底に抱いてきたのだとも思います。「食べる」ことは一番身近な宗教的行為とも言えます。


     さまざまな物語や神話の中に、何かを「食べる」ことの象徴的表現は無数に出てきます。例えば「善悪の知識の木」の実を食べたアダムとイヴ。宮沢賢治の童話には『よだかの星』、『注文の多い料理店』。


     現代なら『千と千尋の神隠し』もそうです。物語の冒頭、千尋の両親はたくさんの食物にむしゃぶりつきます。実は神様への供物なのですが、まるでレストランのバイキングのように食べ散らかし、「金を払えばいい」という了見です。結果、二人は豚にされてしまいます。
     カオナシは高級料理を「過食」し、砂金を吐き出して「人を喰お」うとします。一方、ハクが千尋に与えるオニギリや、千尋がハクに飲ませる秘密の丸薬には、命と魂を救う力があります。
     「食べる」モノにもよりますが、「食べる」作法や「食べさせる」気持ちによっては、正反対のエネルギーさえ引き起こし得るものです。

     そして「食べる」ことの原点に思い至るなら、私たちが日々生きるということは、日々、他の命を奪うということにほかなりません。自らの命を維持するために、ほかの命を破壊し、かつ奪った他の命を自己の内側に同化させる。その瞬間、自己の生と他の生き物の死が、身体と精神の内部で共存しています。
     
     単に「命の循環」ではすまない。
     そこに「食べる」という行為の本質的な両価性と根源的な宗教性があるように思います。


     『鬼子母神』は5百人もの子どもを産みながら、人間の子どもたちを食べていました。その設定自体がとても象徴的です。命を産み育てる者は、同時に命を「食べる」者なのです。種の存続・繁栄のために、ほかの生き物を「食べる」、それは人類の種としての存在様式そのものであり、『鬼子母神』とは私たち自身の姿にほかなりません。

     釈迦は、鬼子母神の子どもの一人を隠すことで、子を失う人間の母親の苦しみを悟らせ、改心させます。
     現代人のために書き直すならば、自然破壊の結果もたらされている苦痛から、自然そのものの「苦痛」を私たちが想像し得るかどうか、ということになるのでしょうか。



    【2010/08/23 12:37】 | スピリチュアル
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