心理カウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)もやっている精神科医です。内科経験もあり。メンタルヘルス、人生のこと 、思索、エッセイ、旅、音楽、ギター、ひとり言 etc.  息抜きに読んで頂ければ幸いです。3.11以降は、原発関連の情報中心です。
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     学生の頃、身体障害のある男性の介助に入っていました。ヘールパーなんて制度の無い時代、彼はアパートで一人暮らしでした。が、たくさんの支援者がいて、ほぼ毎日誰かが介助に入っていました。
     家の風呂に入る方が、安上がりで楽ちんなのですが、月何回かは敢えて近所の銭湯に通います。
     本人いわく、「街に障害者がいる事を、知ってもらわんといかん」。
     
     駅、バス会社、デパート 、公共機関 etc. あらゆるところに出かけてスロープや障害者用トイレをつけさせたので、地方の小都市にしては、いまでいうバリアフリーが、わずかながらも実現されていました。 
     


     その後、高齢社会化は進み、バリアフリーは全国でどんどん進んでいきました。
     
     10年ほど前、やはり身体障害のある女性が言いました。

     「障害者用のエスカレーターがついて便利になったのはいいけれど、『車いすの人はこれを使えばいい』と思われてしまって、昔みたいに、通りすがりの人に声をかけて階段を昇り降りするという楽しみがなくなった」と、こぼしていました。
     「バリアフリーになったおかげで、心の中のバリアーは見えづらくなってきた」とも・・・。
     
     いま考え直すと、とても鋭い指摘です。


     人が人を助ける。

     それはコミニュケーションの基本でしょうし、育児に手がかかる「ヒト」の生物学的宿命だとも思います。
     「万物の霊長」であるのは、ただ単に知性を持っているからだけではないと思います。ほかの生物に比べて、極めて高度な「共同性」を持たなければ生存し得ない存在であること。それは種としての弱さでもあり、強さでもあるのだと思います。


     抗生剤の使い過ぎで、免疫力がおちるように、「便利」過ぎる環境の中では、生きる力は弱まってしまうように思います。




     「愛」を学ぶために、神様はそういうふうに「ヒト」を創られたのかもしれません。





    【2010/12/09 21:57】 | 社会
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