心理カウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)もやっている精神科医です。内科経験もあり。メンタルヘルス、人生のこと 、思索、エッセイ、旅、音楽、ギター、ひとり言 etc.  息抜きに読んで頂ければ幸いです。3.11以降は、原発関連の情報中心です。
    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。

     「新型うつ病」とか、「非定型うつ病」とか言われて、何か新種の疾患が発見されたような受け止め方をされています。

     精神科では、他科と違って生物学的因果関係や病気の原因を限定し難いまま、精神・心理現象だけで診断されることが多いので、それが「病気」なのか「社会・文化現象」なのか、健康な心理現象の一部なのか、極めてファジーな面が大きいものです。長い経過の途中で病名が変わったり、見識高い複数の精神科医師の精神鑑定結果が、ばらばらになって一致しなかったりもするくらいですから。

     最も狭い意味での内因性(心理・社会的要因でなく、生物学的素因による)精神病は、薬物療法で劇的に改善することが多いので、医療的アプローチが必要かつ有効ですが、近年は、そうではない、つまり心理・社会的要因による影響が極めて色濃い患者さんが増えてきています。著しい自殺者の増加も、同じ心理・社会的現象のひとつと言えるでしょう。


     今どき「不登校」や「社会的引きこもり」を精神疾患という人はいないでしょうが、要は社会環境と個人との関係の中で起こる様々な不調和に、とりあえず「病気」のレッテルを貼っておけば、双方(社会と個人)が対立せず、何となく安心してしまい、なんらかの解決策がありそうな錯覚に陥るという傾向があるようです。 
     
     現実には「不登校」も「社会的引きこもり」も自殺も増加の一途をたどり、決定的な解決策などは見いだされていないのですが・・・。

     「非定型うつ病」もそういうレッテルに近そうに思えます。



    【2010/12/03 13:26】 | メンタルヘルス
    トラックバック(0) |

    管理人のみ閲覧できます
    -


    コメントを閉じる▲
     友人の結婚式に出るために、飛行機で東京に着きました。
     着陸した瞬間、スチュワーデスが大きな声で「お客様の中で、医師か看護師の方はいらっしゃいませんか」、「急病の方がおられます!」と繰り返してアナウンスし始めました。
     私の前の座席の男性が素早く手を挙げたので、私も続いて手を挙げました。『専門外だけど・・・』なんて懸念もありながら、二人いればだいじょうぶかなと思いつつ。患者さんのところに行くと、同行のご家族がピルケースを広げて、「これがいつも飲んでいる薬です」と教えてくれたのは、何と全部精神科の薬です。
     『精神科で救急は滅多にないけど・・・』と思いながらご本人を見ると、20代の女性が片目を手で押さえて叫んでいます。「目の奥から耳の奥まで痛みが・・・」。
     「手をのけて、目を見せて下さい」と言うと。「いや。いま手をのけたら・・・!」と拒まれます。目が飛び出すか、血が吹き出すとでも思われたのでしょうか。
     こわごわ、手をはなすと、特に異常は見当たりません。

    私  「最初に鼓膜が痛くなりませんでしたか?」
    女性 「はい」
    私  「はじめに比べて痛みは和らいでいますか?」
    女性 「はい」
    私  「だいじょうぶですよ。すぐに良くなりますから」
    女性 「そうですか。だいじょうぶですか。」
    私  「念のために、簡単な検査だけしておかれれば安心でしょう」

     女性は徐々に落ち着きを取り戻していきました。

     家族に聞くと、こんなパニックを起こしたのは初めてとのことでした。

     じっと見守っていたほかの男性客が、後ろから「三叉神経痛でびっくりしてパニック発作起こしたんですよ。だいじょうぶ!そのまま帰っていいですよ」。そして不安がる患者さんと家族に「ぼくはどうせ羽田泊まりだから・・・」と、つきそわれました。
     飛行機から降りる間際、「先生は何科でいらっしゃいますか」と尋ねたところ、外科で救急もやっていたとのことだったので安心しました。『何で最初に手を挙げんかった!』と思わなくもありませんでしたが・・・。実は学会シーズンで、ほかにも全部で4~5人の医師らしき人たちが、最後まで様子を見守っていました。たいしたことないと思ったのか、みなさん黙って立ち去られましたが。

     けれど後から考えて、私はその年配の医師のことを『さすがだな~』と思いました。

     初めてパニック発作を経験した人に、「だいじょうぶだけど、念のために検査を」と言うと、今後再発した時に、不安感がおさまらず、すぐに病院に駆けつけることを繰り返すかも知れません。医療の世界で100%「大丈夫」なんて保証はないのですが、敢えて「だいじょうぶ!」と断言しきる医者は、ある意味立派だと思います。とりわけ心因性の症状に対しては、その一言だけで良くなったりもしますから。救急の現場には、そんな患者さんも多いので、その先生には周知の経験であったに違いありません。



     医療現場に限りません。この「だいじょうぶ」を言える人、言える環境、言える文化が、なくなってしまったように思います。

     
     とても力ある言葉だと思うのですが・・・。

     
     仏教では「安心」と言います。
     究極の意味は「死んでもだいじょうぶだよ」ということなんです。



    【2010/11/29 15:58】 | メンタルヘルス
    トラックバック(0) |

    ありがとうございました
    Yoko
    >仏教では「安心」と言います。
     究極の意味は「死んでもだいじょうぶだよ」ということなんです。


    ↑読んで、この言葉を味わっていたら、涙がポロポロこぼれました。
    人って、誰かに「だいじょうぶ」って言って欲しい生き物だと思います。

    東京に来られてるんですねー。
    たかちゃん
    「大丈夫」
    私はこの言葉を、何の根拠もなく
    よく子どもに言ってしまいます。
    「大丈夫よー、なんとかなるなる!」…と…。
    事実、今までは何とかなってきましたし…。

    そう、この世で起きた事は
    基本的にこの世で解決出来る様になってるんだと、
    これまた何の根拠もなく確信しております。
    (殆ど妄想に近いですが…。)

    死んでも大丈夫なんですよ。
    全くその通りなんです。
     いつのころからか、死ぬ事は
    恐れるに足りない事だと思えるようになった気がします。
    (気がするだけで、実際に直面するとどうなるやら…)
    生まれる前に戻るだけ…。
    そう思ってます。

    でも、それだけに今生の出会いは
    やはり大切にしたいと思うのです。

    色んな意味で生かされてる私たち。
    そんなこんなを感謝しつつ………。

    あるがままに
    アポロン
    >Yoko 様
    最近、『般若心経を』を「味わって」いて、感じます。

    「そのままでいいんだよ」「あなたも、わたしもすべてあるがままでいいんだよ」「すべてが、すでに赦されているんだよ」と、そんなふうに仏様がおっしゃっているように感じます。
     
          感謝

    東京から帰りました!
    アポロン
    >たかちゃん

    先週、2日だけ東京にいました。

    「大丈夫」は、ぼくがいつも連れ合いに言われる言葉です。

    その連れ合いが、ぼくから観ると「大丈夫???」なんですけど・・・。

    「どうぞ忘れ物がありませんように!!!」と、しっかり祈って東京についたら、「ドライヤー忘れてた~」ので、急遽ホテルの理容室で・・・。

     まあ、別に来賓の一人の髪がドライヤーで固められてなくても、結婚式には何の支障もないよ!と、思うけど・・・。確かに、彼女なりには「大丈夫」なようです。



    ソニア
    ちょっとドキドキしながら読ませていただきました
    眼?!がどしたの~って!

    大した事なくてよかったですね ^^

    「だいじょうぶ」 優しく力強い言葉ですね

    その女性の病が早く癒されますように
     


    損な性格
    アポロン
    >ソニアさん

    コメントありがとうございます。

    ぼくもドキドキしながら、診察してましたけど・・・。
    あとから、何人も医者らしき人が見ていた事を、連れ合いから聞いて、なんだか一人だけ損したような気にもなり・・・。

    でも、どうしても反射的に動いてしまうんです。

    コメントを閉じる▲
     人や世界や自然や愛情を受け容れ、「同化」するのが女性的ー母性的原理。
     人と競い、世界と対峙し、自然を加工し、愛情を選別して、「異化」するのが男性的ー父性的原理。
     そう仮定してみます。

     「同化」への欲求を強固な意志で排除し、「異化」によって自己を維持することに、「食」行動を通して強迫的に固執するのが基本的病理とすれば、摂食障害とはまさに「母性的原理」を抑圧、排除、拒絶しようとする病なのだとも言い換えられます。

     自然から得られ、人間の愛情が付加され、自らの肉体に同化する「食物」の摂取を極力排除し、自らの意志で本能にあらがって、身体の状態をコントロールする。まるで、外界との緊張関係の中で闘いながら、ジャングルでサバイバルする戦士のように、防衛ー闘争的で、極めて「男性的」な行動様式とも言えます。その意識は「母性」や「女性性」のみならず、自然、人間、自己の身体をも拒絶しているかのようです。

     男性においても同様です。
     男性の摂食障害では、醜形恐怖を合併することが多いようですが、女子から容姿をからかわれたり、受験や仕事の失敗などで自らの「男性性」に自信を失ったり、女性に対する強い緊張や恐怖感を抱いたりetc. それら「男性性」に関わる劣等感は、自らの内側の「女性性」を抑圧、排除しようとします。しばしば、脂肪を落とした筋肉質の、いかにも男性的な体型に固執する人もいるようです。

     もともと「同化」という女性的原理を拒絶して、「異化」という男性的原理に固執する方法は、男性にとっては寧ろ不自然ではない、様々なやり方があります。スポーツ、ボディービル、放浪、ワーカホリック etc. 場合によってはそれらのことが寧ろ、社会適応を助けることもあります。男性に摂食障害が少ない理由の一つかも知れません。



    【2010/10/02 10:14】 | メンタルヘルス
    トラックバック(0) |
     「男性性」と「女性性」は、成長に伴って一人の人間の内面に、同時に存在するようになります。この一対の心性が統合されなければ、思春期の自立は果たせません。女子であれば、女性的になると同時に、内面では自らの「男性性」が統合されはじめます。男子ならば、「女性性」が統合されはじめます。

     摂食障害の病態について、性的な関心が低いかあるいは性的な事柄を極度に嫌悪するという例や、幼少期に性的虐待を受けたケースが多いという説があったり、最近では逆に、極端に性的関係や恋愛に依存する傾向の強い人も多いと言われます。
     いづれにしても「食」のアンバランスと「性的欲動」のアンバランスは強く関係しているようです。

     過度に「性」を拒絶することと、過度に「性」に依存することとは、おそらく本質的には同じこと、つまり自らの内部で「男性性」と「女性性」の統合がなされていないのだろうと思います。

     「男性性」と「女性性」、そして「父性」と「母性」は、どちらか一方だけで存在し得るものではなく、実は本来ひとつのものの二面的な現れなのだと、寧ろそう考えた方が良さそうに思います。

     両者が統合される以前に、自己の内面で対立したり、一方が抑圧されてしまうと、何らかの葛藤が起こります。



    【2010/09/30 18:17】 | メンタルヘルス
    トラックバック(0) |
    若いお母さんの相談です。

    母 「(二人姉妹の)上の子ども(7歳)の食べ残しが食べられないんです」
    私 「家族以外では?」
    母 「他人と一緒のお皿では・・・、やっぱりダメです。汚いかなと思って」
    私 「他の人が?」
    母 「いや。自分の方が・・・」


    私 「拒食や過食の経験は?」
    母 「あります」
    私 「その時、お母さんとの関係は?」
    母 「何も相談できなかった。イジメられてたことも・・・。お父さんに相談して・・・。お父さんが買ってきてくれたジュースとかは飲めました」

    母 「○○(上の子)が3歳の頃の反抗期に、『パパの方が好き』って・・・」
    私 「今でも、自分が嫌われるんじゃないかって思う?」
    母 「思います」
    私 「じゃあ、○○ちゃんが嫌いというより、自分の方が○○ちゃんに嫌われてるんじゃあないかって・・・?」
    母 「うん。そうかも」 


    母 「小学生の給食の時、グループで机くっつけるでしょ。私だけ机を離されて・・・」
    私 「どう思いました」
    母 「自分は汚いんだって・・・」


    私 「拒食の時は、お母さんよりお父さんの方が好きだった?」
    母 「そうです」
    私 「でも、本当はお母さんに話を聞いてほしかった」
    母 「そうそう」
    私 「ちょうど反抗期の○○ちゃんみたいに・・・」
    母 「あっ。そっかぁ・・・。○○も『本当はママに甘えたいのにっ!』て言うんですよ」


     もともと、摂食障害の相談で来られたのではありません。けれども、いろいろ話を聞いていると、実は拒食症や過食症の時期があったという若い人は、結構多いものです。そして母子関係だけの問題とは限りません。このお母さんの場合、小中学校でのイジメが、これまでの様々な症状の原因として、かなり大きいと思われるのです。

     また父親やパートナーの「母性」によって支えられ、回復してきたというのも興味深い事と思います。




    【2010/09/28 18:27】 | メンタルヘルス
    トラックバック(0) |
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。