心理カウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)もやっている精神科医です。内科経験もあり。メンタルヘルス、人生のこと 、思索、エッセイ、旅、音楽、ギター、ひとり言 etc.  息抜きに読んで頂ければ幸いです。3.11以降は、原発関連の情報中心です。
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     いかにお金を稼ぐか、そのことばかりに気持ちを奪われてきた。
     その結果が今回の原発事故だったとも思います。


     昨日は「わくわくマルシェ」に参加して、久々に癒された気がします。

     参加者は、「わくわく」という通貨で買い物をします。この通貨は、貯蓄できません。利子もつきません。
     もしも、有機農法の採れたて野菜や、かわいいフェルトの作品や、手作りパンや、たくさん欲しいなら、手元の500わくわくはすぐに無くなってしまいます。なので、自分も何かを出品します。自家製クッキーやワッフルや、余った布地 etc. 手に入れた「わくわく」でまた、何かを得る事ができます。

    わくわく1


     何も差し出す「物」がなければ、歌を歌ってもいいし、ギターを弾いてもいいし、心のこもったマッサージをしてもいいのです。それもできなければ、「ニコッと笑顔であなたのおそばに3分間」というのもありかも…。

    わくわく2



     「お金で物を買う」のでもなく「物々交換」ともちょっと違う。いわば人と人のエネルギーの交換、心や思いのやりとりが基本です。「わくわく」のチャンスをためこんでも仕方ないのです。「わくわく」をその場で人に与える。その場で「わくわく」を受け取る。

     これは、実は私たちが人間として幸せに生きる事の基本のように思います。
     「わくわく」が循環すればするほど、「わくわく村」のつながりはとっても居心地のいいものになります。村の総生産額(GDP)=「わくわく」通貨の総量は変わりませんが、「総わくわく」は、つながりの多さ、強さ、「わくわく」の交換頻度に応じて増えたり減ったりします。

     昨日の「第2回わくわくマルシェ」に、ぼくはギター伴奏を頼まれて参加しました。アコーディオンで歌う「風和土(ふわっと)~れいちゃん」と一緒に、みんなで歌を歌いました。

     お礼にたくさん「わくわく」を頂いたので使い切れず、「第3回わくわくマルシェ」で使おうと、楽しみにしています。

     「それって地域通貨のこと?」

     近いのかな…。でもそれ以上のものだと思います。

     これから、この資本主義の経済システムは確実に崩壊していきます。
     このシステムと真逆の発想をする人々が増えてきたのは、歴史の必然ともいえるのでしょう。いかにお金を稼ぐかではなく、いかにお金や物に依存せずに、自由に、幸せに生きて行けるかという発想です。

     なので、もはや「この時代」を支えようなどとは思っていません。いかに、お金依存社会から抜け出すか、いかに原発依存社会から脱け出すか。おそらく、予想もしないほど急速に、これまでの文明や社会は崩壊して行くだろうと思うのです。その時のためにこそ、新しい時代の種をまいていこうと思っています。

     一見少数派と思われている人々の中にこそ、新しい時代の種が宿っている。

     ぼくはそう確信しています。




    【2012/05/14 13:15】 | 社会
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    ぽぽ
     似たようなことは神田昌典さんもおっしゃっていますね。彼によると、2018年ごろにはお金を使わないで暮らす(お金に依存しない)人が全体の10%程度になるとか。


    -
    ぽぽ様>
    できれば、「お金を使って暮らす人」が10%になるくらいの世界に変わって欲しいものですが…。


    のり
    ごぶさたしていますm(_ _)m

    わくわくマルシェ、人が大事にされているというのが、癒されます。楽しそうですね!


    -
    のり様

    お久しぶりです。
    確か、地域通貨のお話し、しましたね。

    「経済システム」や「お金」によって、人と人とのつながりが断ち切られて行く、人と自然とのつながりも断ち切られて行く。

    昨日、ネットを見ていたら、「広島への原爆投下は虚構ではなかったのか」と、真面目に議論する若者がいて驚きました。そこまで「人の言葉」、「過去からの証言」が信用されなくなってしまったのでしょうか・・・。



    ぽぽ
    >できれば、「お金を使って暮らす人」が10%になるくらいの世界に変わって欲しいものですが…。

     彼の見立てによると、2018年にお金に依存しないで生活する人が10%程度、すなわち10人に1人くらいの割合になれば、そこから2人に1人の割合(つまり50%程度)までになるのはあっという間で、日本に限って言えば、2030年までにはかなりの部分で貨幣経済から脱却できるそうです。

     完全にお金が無くなるということではないですが、生活において、お金の力が十分に低減された社会ということでは、今よりも穏やかな社会とはいえるかもしれませんね。

     まあそれすらユートピアとは異なると、彼は注意書きをつけておりますが(汗)。

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    「小さな祈りの会」

    とてもいい響きだと思いました。
    それを企画した友人に、朝、ふと電話して、
    集会・デモではなく、「小さな祈りの会」に参加する事にしました。

    11人の大人と3人の子どもたち。
    みんなで集まり、話し、歌を聴き、歌を歌い、絵を描きました。

    3月11日、14時46分。
    ここ九州の飯塚市でも、サイレンが鳴らされました。

    黙祷の前から、涙が止まりませんでした。



    未曾有の大震災・津波で2万人近くの命が奪われ、数十万人の人々が故郷に帰れず、原発事故は未だ収束していない…、歴史的大惨事です。

    昨年の3.11以降、私にとっては楽しんだりしている場合ではなく、
    いてもたってもいられず、闇雲に動き始めました。

    情報収集。講演会。署名。集会。食品汚染。友人の事 etc.

    変わりない「日常」など、もうあり得ないのは明らかでした。




    けれど、この集まりで初めて強く感じた事がありました。

    チェルノブイリの時、私は何をしていたのでしょう?
    あるいは、関わりのない人たちの、身近な死に際して何をしてきたのでしょう?
    様々な理由で家族から見捨てられ、「ふるさと」を失い、何十年も入院し続けているいる人たちに、どんな思いで接して来たのでしょう?


    その時々に、ほんのささやかな「祈り」の気持ちを持っていたのならば…。

    今回のような大惨事は免れていたのかも知れない。
    と、ふと気づいたのは、ついこの間でした。





    ともかくも、いま私が気づいてしまったのは、
    「小さな祈り」さえも失ってしまったら、
    「小さなな喜び」さえも感じることは
    できないだろうということです。

    あるいは、「小さな祈り」こそが
    「大きな喜び」の種なんだということです。

    それは本当に「大きな祈り」ではなく
    まさに「小さな祈り」です!

    「小さな祈り」こそが偉大なのだということです。


    巨大な富と「科学」の力で世界を変えようとして、
    月面を人類が歩くという大きな夢まで実現して、
    けれどそれが「小さな祈り」を踏みにじってしまうような力であるならば、
    決して世界や人々や生き物たちを、幸せにすることはないでしょう。



    この日集った、大人と子どもたちが、
    それぞれに、無意識に、小さな絵を描きました。


    出来上がったのは、畳3畳ほどもある、大きな絵。


    一人の「作家」のひとつの完成「作品」ではありません。

    そのとき、その場で、思い思いに筆をとった、
    ひとりひとりの、小さな小さな「祈り」の一筆一筆…。
    私が描いたのも、ほんの数十分の一くらい…。



    そのことでしか、この大きな絵画は描かれなかったことに、
    私はひどく感激したのでした。

    できあがった絵が、キラキラと光り輝いていました。






    【2012/03/13 10:43】 | 社会
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     沖縄には、関東・東北からたくさんの人たちが避難して来ています。島の人々も、支援のためにとても熱心です。
     そんな、沖縄の友人のブログを読んでいて、本当に日本の未来がどこにあるのかなと、思いを馳せていました。

     戦前、「日の丸」の旗を振り、沖縄戦では本土以上の多大な犠牲を払い、戦後アメリカに蹂躙され、今も基地問題は政治かけひきとしてしか扱われない。
    http://hokuroyamasita.ti-da.net/e3749027.html


    彼のピアノ演奏で、幼稚園児たちがこんな歌を歌ったのだそうです。
    http://hokuroyamasita.ti-da.net/e3756289.html


    「私がおおきくなった時」

    わたしが大きくなったとき
    みどりの野原はあるかしら
    キレイなお花は咲くかしら
    未来の地球はどうなるの
    いまよりキレイになるかしら


    わたしが大きくなった時
    青いお空はあるかしら
    小鳥は楽しく鳴くかしら
    未来の地球はどうなるの
    いまより楽しくなるかしら
    未来の地球は助け合い
    きっとステキになるでしょう
    みんな笑顔になるでしょう

           


     ひたすら正直に、下心なく生きる人々の心の中にしか、もはや日本や世界や地球の未来はないのではないかと思うのです。


    <上杉隆氏講演会in郡山>
     高校生向けの講演ですが、寧ろ大人がまず知っておくべき常識のようです。
     日本のマスコミ人は事故直後メルトダウンを知っていながら報道せず、自分たちの家族だけを避難させた!これはもはや犯罪です!記者クラブもマスメディアも全て解体してしまわなければ…。



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    【2012/03/06 21:17】 | 社会
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    1977年12月25日、クリスマスの日に亡くなった「喜劇王」チャップリン。
    その人の想像力は、時を経て私たちの心に突き刺さる。

    http://www.youtube.com/watch?v=xl2e69fEFf4&feature=player_embedded

    【2011/12/20 20:42】 | 社会
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     こんなことを、今さら考える必要があるとは思ってもいなかった。
     
     「放射性物質を子どもたちに食べさせてはいけない。日本だけじゃない、中国からの放射能も危険」。そう言いながら、なおかつ「原発は必要」と言う人がいる。そんな超絶「論理」から逃れられない人、特に働く男性には意外に多いのかも知れません。

     要は、(1)経済が回らない。世界の経済競争に負ける。(2)電気が使えず不便になる。(3)代替エネルギーがない(4)原発や電力で働いて来た人の仕事がなくなるetc. 聞いているうちにどれを一番の問題にしているのかが分からなくなる。

     3.11以前ならそれなりに説得力を持ち得たのかも知れない。否、殆どの人々はそう信じていたはずだ。

     3.11後、多くの人々の「常識」が引っ繰り返ったのは、人々の「想像」を超えた、今回の事故の凄まじさ故と思う。

     いま、進行している事態に比べれば、上の理由など一挙に吹き飛んでしまう。

     たとえば「北半球に人類が住めなくなっても、いまの日本の経済を維持したい」と言えば、それは小学生にでもわかる論理矛盾であることが明瞭になる。あるいは「今後長期に渡って日本の、特に若年層の人口が減り、人口も減少していくだろうが、それでも今まで通りの生産力を維持したい」と言えば、その非現実性は明らかになる。

     いま、既に起こってしまったことと、このあと起こってくる現実。様々な健康被害。土壌、食物、海洋汚染。事故後の莫大な補償、事故収束のための費用、年月と技術的困難。それだけでも、大変な難題が山積している。

     いま、原発を維持するのは、日本を滅亡させる最終爆弾をかかえ込む事に等しいのだ。

     そんな危険と隣り合わせでなければ維持し得ない「経済システム」、「エネルギーシステム」は、原発もろとも廃棄しなければ、日本人だけでなく、人類そのものの生存が危うくなる。
     
     「原発安全神話」と並んで、実は現在の「経済至上主義神話」そのものが崩壊したのだということを、誰も言わない。命や自然から遊離したシステムは意外に脆く、高々200~300年の寿命だったのだと、いまはっきり認識すべきなのだろう。

     「代替案を提示しろ」と言う発想自体が、この過去形になりつつあるシステムの内部でしか思考できていない、ということの証左でもあるだろう。人類未踏の世界は、あなたやわたし、ひとりひとりの意識と行動、想像と創造の先にしか立ち現れてはこないのだ。

     未来や希望は、本質的にそういうものだ。 

       「ここがロドスだ!」
     
       私たちは十分に恐怖のまっただ中にいる。 

       いまさら怯えていても、何も始まらないのだ。


    【2011/09/20 22:44】 | 社会
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    経済より人命だ!
    小川洋子
    こんばんは。ご無沙汰しております。
    記事を読みながら何度も「うんうん,そうだそうだ」と言ってしまいました。

    素晴らしいご考察ですね。

    経済を優先するあまり,人命を捨てる。

    みんな死んでしまったら,いったい誰が経済活動をするのか?墓場からするのか?
    子孫を産めなくなったら誰が日本という国の続きを請け負ってくれるのか?
    外国人でも大量に移住させるのか?
    外国人がこんな汚染された日本になど来ると思っているのか?

    そんな当たり前のことを見て見ぬフリをする「おじさん族」が私の周りにはたくさんいます。

    そんな「おじさん族」には生きていくために必要な「勘」や「感性」が完全に無くなっているのだと思っています。

    病気で動けなくなっても死んでも今の「地位」「役職」「職業」「給与」だとかにしがみつきたいんですかね?

    被曝で病気になれば,どっちみち仕事なんてできなくなるのに。


    理解不能です。

    戦時中以上に腐っている
    -
    コメントありがとうございます。

    近頃、本当に真剣に思います。為政者や官僚や東電や経済人という人々は、本気で、自分の事しか考えていないのだと。
    いくら「おじさん族」でも自分の子どもや孫に対する思いはあると思う。そういう「一般人」は現実を見せつけられれば理解できるとは思うのですが・・・。

    本当に国の全体を見てリーダーシップを持つ人々の腐敗ぶりは、凄まじいのだと思います。彼らは、日本が滅びても構わないと思っているのでしょう。子どもたちは、海外にでも移住させて、世界の核廃棄物処分場として無人島になった日本を遠くから眺めながら、悠々と暮らしていくのかなあと、本当にそうとしか思えません。

    福島県民にしているように、一般日本人を実験用モルモットか、代替可能な労働力くらいにしか思っていないのだと思います。人口の半分くらい死んでも、資本はしっかり生き延びることができますし、寧ろ廃炉産業、医療産業で今後数十年~数百年に渡って稼ぎ続けられるのですから、彼らにとっては極めて経済合理性にかなっているわけです。

    アメリカが他民族に対してなら平気でやっていることを、いまの日本の財閥や政治家が自国の民衆に対して真似しているだけのこと。

    戦時中以上に腐っているのだと思います。

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